中野善壽さんを知ったのは、2年前に見たテレビ東京系の経済番組「カンブリア宮殿」だった。毎週録画して印象に残ったもの以外は消去するが、中野さんという人物に非常に興味を持ったので、その番組は残していた。その中野さんの本ということで早速読んでみた。
中野さんは、株式会社伊勢丹(現・株式会社三越伊勢丹)を経て、株式会社鈴屋へ入社。代表取締役専務就任を経て台湾へ渡り、力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問、ならび亜東百貨COO等を歴任。2011年寺田倉庫株式会社入社。2012年代表取締役社長就任。2019年6月26日退社。現在75歳。75歳には見えないアグレッシブな印象を持つ人だ。寺田倉庫を一般的な倉庫業から脱却させ、全く新しい価値を提供する企業に変身させた実力には目を見張るものがあるが、それを成し得た中野善壽さんという人物には、優秀な実業家以上の人間的な魅力があるのだと思う。彼の人生観が、これから独立を目指す人、すでに独立して試行錯誤している人への大いなる指針になるではないかと思い書評記事を書いてみた。
タイトル「ぜんぶ、すてれば」
冒頭の数十行をご紹介する。
不確実で変化の激しい時代。個人の力が試される時代。人生100年への備えが必要な時代。
日々の膨大な情報に対応し、新しい技術や価値観へのアップデートが求められる。
過去の事例にはもはや頼れない。ロールモデルも、人生プランも、描けない。
自分の意見や考えを持ち、世の中に発信しなければならない。しかし、実績も経験もなく、自信がない。
先の見えない将来のことを考えると、不安で頭がいっぱいになり、疲弊してしまう。
こんな時代で生き残るには、どのような知識を持ち、いかなる力を身につけなければならないのか。
この数行の文書の後に来る中野さんのメッセージが「何も、必要ありません。ぜんぶ、捨てればいいんですよ。」であった。あまりにも簡単な答えで、ざっくり過ぎないかと思ったが、読み進めると理解できた。中野さんが伝えたかったのは「今日がすべて」ということだった。今日を精一杯生きようというメッセージだった。
中野さんの文書を引用しよう。
過去にとらわれず、未来に揺さぶられず、確かに味わえることができる今日に集中して精一杯楽しむ。その結果は、先々にいろんな形となって巡ってくるはずです。
明日地球が滅ぶかもしれないし、誰かをあてにしてもしようがない。自分を花開かせることができるのは、自分自身に他ならない。
全ては因果広報。将来を作るのは、今日の自分。
今日の自分を妨げるものはぜんぶ捨てて、
颯爽と軽やかに、歩いていこうじゅありませか。
これまでと違う何かを得ようと独立する人に「すべて、すてれば」は真逆のようにも思えるが、誰かに依存することをやめ、独立という『一個人の生き方」を選ぶ者にとって、最もブレーキになるものは自分自身でもある。自分の妨げになるものは、実は自分の中にある。それをぜんぶ捨てるということが、道に迷うことなく進むための、大切なスタンスであることを教えてくれているのではなかろうか。
「安定を求める心ではなく、変化に対応する力」
元々会社員であった中野さんが様々な経歴ののち経営者になったのには、基本的に「安定を求めるのではなく、変化に対応する」というポリシーがあったからであろう。会社員当時から上司や周りからどう思われるかということより、自分が正しい思うことはちゃんと発言していたそうだ。家も持たずホテル住まい。特に資産を築くこともなく、多くを寄付しているそうだ。いろいろなものを所有して自分を守るという発想がないのだ。守りに入って執着することなく、経験のない新しい世界に飛び込んでいくことを常とし、感性のままに行く道を選択し、その場その場で楽しんで頑張っていれば、結果的に自分が活躍できる場が訪れるということを教えてくれている気がする。
本文からの引用
僕が言いたいのは一つ。世の中に安定というものは存在しません。
永久に存続する企業もないし、自治体だっていずれは消えていくと言われます。
そもそも僕たち人間も生かされているし全世界そのものが、
常に流れ、変化をし続けているのであって、今日と明日で一つとして同じものはない。
1日単位では気づきにくい微々たる変化だったとしても、
大きな流れの中では激動している。
中野さんの世の中に安定はないという潔さが、大胆な発想、思い切った決断につながっているのだろう。男の生き方としても憧れる存在である。
「ものごとがどうしてもうまくいかないときは、自分自身に負けているとき」
中野さんは毎朝欠かさず自分自身に誓いを立てるそうだ。宗教的な何かがあるのかどうかはわからないが、毎朝手を合わせて自分に祈り、自分自身に誓うそうで、もう50年も続けているとのこと。
「ものごとがどうしてもうまくいかないときは、自分自身に負けているとき。自分に負けないためにも、毎朝誓って姿勢を正すことが大事です」というフレーズは、ビジネスとひもづけたメッセージではなかったが、私の心に刺さった。自分の中にスーッと入ってきた。ちょうどこの本を読んでいるときは、仕事において自分以外のことにいつも心を揺さぶられているときだったので、つい影響され、周りを指さす自分が顔を出していた。このフレーズを読んだ時「すべては自分が源だと思え」と言われているような気がした。
「僕の人生、どのレースも最高だったな」
中野さんは常々「死ぬ直前の十秒が幸せならそれでいい」と言っておられる。カンブリア宮殿の中でも「全ては途中。死ぬ直前の十秒が幸せならそれでいい」と言っておられたのがとても印象に残っていた。「全ては途中」とはいい言葉だ。人生いい時も悪い時もある。だから一喜一憂するな。途中なのだから。死ぬ間際で「俺の人生最高だった」と言えたらいいのだ。最後にマイナスよりプラスが少しでも勝っていたらいいなと、つくづく思う。
独立するということは、これまでにない苦労もするだろうが、これまでに味わったこともない喜びや達成感、充実感を経験する。振り幅は大きいかもしれないが、それだけ人生を彩ることにもなる。そのぶん最後の瞬間に自分の人生を振り返った時に「俺の人生最高だった」と心から思えるのではないだろうか。必ずいつか来る最後の時のために、そう言える人生を歩んでいきたいと改めて思った。
まとめ
実業家として華々しい成果を出した中野さんには、本の出版依頼が多数あったらしい。しかし経営改革に関するテーマのものが多く、自分の実績をひけらかしたり目立つことを好まない中野さんは、ずっとオファーを断っていたそうだ。この本は「一人の人間としてのあり方を伝える本」というコンセプトが気に入って出版の運びになったそうだ。
一人の人間としての生き方をまとめたこの本、「自分の思いのままに、やりたいことをやれよ」「人生何とかなるぞ」「未来は明るいぞ」「チャレンジして成長せよ」と、先行く先輩から励ましの言葉をもらったような思いで読み終えることができた。見開き2ページ完結の内容で非常に読みやすくわかりやすい。独立を目指す人が、これからどんなことがあっても、その都度に開いたページが心の支えになる一冊だと思う。